東日本大震災からの歩み

ごあいさつ

2011年3月11日の震災により、当法人傘下施設が被災しました。これまでお寄せ頂きました数々のご支援、ご声援に対しまして、深く御礼申し上げます。

また、入居者の皆様、ご利用者の方々ならびにご家族の皆様には不便とご心配をお掛けしましたことをお詫び申し上げます。社会福祉法人杜の里福祉会の被災した当時の様子と、被災後について下記にご紹介致します。

何卒、今後とも格別のご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

会長  山崎 シゲ
理事長 山崎 和彦

東日本大震災からの歩み

特別養護老人ホーム成仁杜の里仙台

地震から45分後には3メートルの津波が到来し、1階部分がすべて泥と海水で埋め尽くされ、完全な孤立状態に置かれました。
1999年4月開設。荒浜地区の北西に位置し、建物は海岸から2キロメートル弱の場所で、ここを選ぶとき、津波襲来の是非について「一度もない」といわれた場所でした。

【状況紹介】

14:46 大地震発生。大地震発生。停電のため、照明、暖房、給湯設備すべて停止。入居者の避難誘導開始。
15:01 特養1階入居者49名を2階へ避難完了。
15:11 ケアハウス利用者44名を特養2階へ避難完了(5名は外出中。)
津波到来。地盤より3mまで達する。施設の1階部分が泥と海水により完全に使用不能となる。
15:30 敷地内が海岸より押し寄せた樹木、瓦礫に埋め尽くされ、駐車していた自動車約100台が浸水。
近隣の自動車も押し流されてきた。

翌日から

大きな余震が繰り返される中、点滴が必要な入居者やパニックを起こしている利用者など、さてこれからどうするか、どうやって乗り切るか、幹部職員たちを中心とした話し合いを行い、孤立してしまった状態で数日を過ごさなければならないことは確実だろうという結論となり、入居者の部屋割、トイレの使用方法などを全員で決め、食材は辛うじて3日分ほどの備蓄だろうと推測されました。

しかし、この状況がいつまでつづくのか分からないため、栄養士は3日分を6日分にするつもりの量を調理することで、食料不足への対策としました。

籠城を決意

震災後2週間ほどで、山崎理事長は杜の里へたどり着くことができました。理事長は、全スタッフを一同に集め、職員に対して、震災時、1人の犠牲者も出さずに、避難を行ったことに対し、感謝の想いを伝えました。震災の日の不安、苦しみ、そして震災後、命を守るため、必死になって走り続けた思い、そして何より理事長と出会えた安心感で、職員の目から涙があふれました。

理事長はすぐに、復興に向けたミーティングを行い電気、水がいつ回復するかわからない状態で、仙台市内で津波の被害を免れた同業施設への入居者200名の移動について、スタッフに提案をしましたが、スタッフ一同想いは決まっていました。「いつもの人間関係の中で、環境を変えてしまうとそのせいで命を縮めてしまうことになる。この命の灯を消さないよう、この杜の里で籠城して頑張る!だからこそ、理事長、新しい施設を建てて下さい!」と全スタッフが訴えました。この日が杜の里の再建を誓った日となりました。

【状況紹介】

3月14日施設までの道路が確保される。その後、自衛隊から食糧と寝具が届けられる。
3月15日動力ポンプの借用がなり、地下タンクから重油のくみ上げに成功。自家発電の利用は1日4時間。
3月16日環境保全会社へ浄化槽の汲み取りを要請。水道局に対し給水車の出動を要請。
3月17日浄化槽の汲み取り実施。仮設トイレ設置。
3月19日電気が通電し、各ユニットにおける深夜照明箇所と時間を決定する。
3月20日建物の調査を実施。
3月23日山崎理事長、短・中・長期の目標を具体的に設定する。
3月25日財務副大臣へ要望書を提出。
4月 5日職員の勤務体制について協議し、4月中旬より介護職員の通常勤務を申し合わせた。

現在の施設の環境

2015年に新築移転し、震災体験が生かされた建築設計(強靭・耐震)はもとより、1ヶ月の発電能力をもつ屋上に設置された発電機、防水扉付冷蔵食糧貯蔵庫(1ヶ月分の食糧を貯蔵)や暖房機器などが備えられました。また、震災体験から入居者の生活空間は2階以上に設け、2階は事務所、1階は地域交流を主としたイベント広場として活用しています。

津波被災のために孤立した介護施設で、なぜ1人の死者も出さなかったのか

1つは震災発生が夜間でなかったこと。 夜勤者だけで1階の利用者を避難させることは困難であり、 避難後の対応についても、できることは限られていたと考えられます。 また、もう1つは、職員教育の成果であること。 職員一人ひとりの判断の迅速さと被災状況の把握の素早さ、 それに基づく全体への指示が明快だったことが挙げられます。 入居者全員の命を守るという目標がすべてのスタッフに共有され、 行動が迷いないものとなっていたことで全員の命を守ることができたのです。

  1. 博く愛すること
  2. 礼をもって老者に仕えること
  3. 広く万人のために活動すること
  4. 健康を大切にすること
  5. 生涯まなぶこと
    震災後、これにもうひとつ加わりました。
  6. すべての人を救うこと

どんな状況においてもスタッフ全員がこの基本理念を念頭にかかげています。

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